31/03/2019

自分らしさと絵の話

 先日この絵を描き上げた。自分のアバターとして使うために制作し、別所(非公開)にて先行アップしたものだ。しかし制作中からどうにもしっくり来なくて、今もまだ違和感がある。それでも一旦の完成としたのは、自分の定めた完成期限が迫っていたということと、最低限の目標である”色に明度差をつける”はクリアしたからだった。
 ただ描き上げから数日経った今、こうして改めてみると然程悪い絵でもない。そこで試しにDeviantArtの方にもアップロードしてみた。それからTwitterのアイコンにもしてみる。すると少しずつ違和感の詳細が見えてきた。
 まずこの絵を当ページとDeviantArtのGalleryページで見ると、自分でもまあいいんじゃないかという気になる。つまり”一枚の絵”として見たときは納得がいくわけだ。では次にProfileページやアイコンを見てみる。この絵が自分の名前のすぐ傍に、小さく表示されている。何か違う。どうも「自分らしく」ない。これは“自分を表したもの”ではない。そう感じる要因は何か。

 もともと自身は作り上げた作品やオリジナルキャラクターを自分と同一視するタイプではない(と思っている)。絵に対しても、制作中は”自分の作品”という感覚が強いが、一度完成するとその親近感は消え失せる。例えばどこかに展示したとして、そこに展示された自分の絵を見てもただ「ああ絵があるな、自分が描いたやつか」と思うだけだ。これは性格的な面もあるだろうから深くは気にしないし、むしろ今回もそれだけなら問題がないと考えただろう。しかしそうではない。「何か変だな」と思うのだ。この絵を自分のアバターとして見たときにのみ感じる違和感。この絵と自分が普段描き上げる絵。一体何が同じで何が違うか、一度整理してみるとしよう。

 まずモチーフは同じだ。モヒカンヘアのガイコツの横顔。これは好きなモチーフで何度も描いているし、ラフスケッチや下描きの段階ではしっくり来ていた。
 次に色合いはどうだろう。配色には苦手意識があり、今回も相当悩んだ。ただモヒカンはビビッドピンクが最も美しいという主張をしたかったので、この色を基準に決めていった。つまり他の部分に使う色は黄色と黄緑でなくてもよかったのだ。だがピンクに黄色の背景という組み合わせは以前から何度か使っていたし、その際にやはり黄緑も取り入れていた記憶がある。配色を決める際に青や紫も試してみたが、そちらの方が違和感が強かった。そう考えると、使っている色相に問題はなさそうだ。しかしこの絵は自分の好む色味よりも彩度を高めにしてある。この点は気にする必要があるだろう。
 最後に調子の付け具合について見てみる。正直に言うと、これは普段の絵と正反対のやり方をしている。元々自分は写実寄りの絵が好きだ。静物画を描くときなんかはモチーフそのものよりも、モノとモノの間にある圧縮された空間に興味が湧く。そこにある空気を描きたいと思ったりする。この絵は違う。モヒカンの形と色を主役にしたくて、あえてフラットな画面にした。

 ……もしやこれが違和感の最大の要因なのではなかろうか。別にフラットな画面にこだわらなくても、ものの形や色の美しさは表現できる。やり慣れない方法で描いたからこそ「自分らしくない」と感じるのかもしれない。
 仮説が立ったので、さっそく新しい絵を描いて確認してみようと思う。